彩事季-「母の七回忌」

先日、佐賀のお寺で母の七回忌を行った。
あれから6年も経ったのか。訃報を聞いたのは、たしか熊本に向かう新幹線の中だった。すぐに久留米に行ける場所にいたのを、おふくろは分かっていたのかもしれない。

今回の七回忌には、私と尚之、そして5人の親戚が集まった。
親戚に会うたび、その老いに時の流れを感じる。叔父叔母が老人になっているのは当然だが、今や従兄弟までもが老人になっている。……ん?ということは自分もそう見えているのか。昔のように盆正月に大勢の親戚が集うことはほぼなくなり、たまに会うのは誰かの葬儀や法事ばかり。そういう意味では、法事が親戚の縁を保ってくれている気がする。
法事後の会食では、身内の昔話に花が咲く。「あんたたちがデビューした時に、ばあちゃんがレコードば大量に買って近所に配って回ったとよ」。すると叔母が「私も全部の得意先に配ったよ。あんたたちが売れてよかったぁ~。もし売れんかったら、ただの記念品よ」。親戚によるチェッカーズのデビュープロモーション話、ばあちゃんとじいちゃんの仲睦まじかった話、そして父親の若い頃の武勇伝など。叔父叔母の亡き後は、そうした藤井家の物語の数々は消えてしまう。今のうちに、いろんな話を聞いておいた方がいいなと思う。

現在、藤井家全体を取り仕切っているのは、父親の9人兄弟の末っ子である叔父だ。父とは20歳も歳が離れていて、もう80歳を過ぎている。昔は子沢山の家が多かったとはいうが、20年間に9人も子供を産み育てた祖父母は凄いと思う。
とにかく、ばあちゃんが凄い。完全なる男尊女卑時代、昔の男は家のことなど何もしない。しかも、ひいばあちゃんとひいじいちゃんもいて、老後は二人を家で看取った。野良仕事のやり過ぎで、腰は曲がったままだった。今の藤井家があるのは、そのばあちゃんのおかげである。

父親の9人兄弟も、今や3人となった。藤井家の兄弟たちは、長年交流を絶やさず支え合ってきた。年老いた叔父も、なんとか一族の繋がりを絶やしたくないのだろう、何かと私を法事に誘ってくる。「俺が死んだら、藤井家は郁弥に頼んだ」とでも言わんばかりに。
しかし、9人兄弟の子供たち(従兄弟は17人)、その子供や従兄弟、甥や姪、さらにまたその子供たち……となるとかなりの人数に広がる。それを取り仕切るのは無理な話だ。
そんな大勢いる藤井家の血族が、全員共通で認識していることがある。それは“藤井フミヤは親戚”ということだ。脈々と広がる親戚たちの顔は分からなくても、みんな私の顔だけは知っている。「藤井フミヤは、あなたの親戚よ」ずっとそう言われてきたはずである。ある意味、“藤井フミヤ=血の繋がり”かもしれない。
しかし私は本家の人間ではないし、先祖代々の土地を相続するわけでもない。本家の長男を差しおいて先頭に立ってグイグイ前に出るわけにもいかない。本来なら、藤井家の長男であった私の父が家督を継ぐのが筋だったのだろうが、父は農家を継承するのが嫌だったのか、三男である弟叔父が継いだ。その負い目というわけでもないだろうが、父は本家と兄弟をとても大切にした。本家の立派な仏壇は父が買ったものらしい。
私は「藤井家の9人兄弟の長男の長男」として、できるだけ法事には参加している。とはいえ、代々続いてきた本家もいつかはなくなる。本家の座敷の鴨居には先祖の写真がずらりと並んでいるが、もう誰も住んではいない。いずれ父の兄弟全員が亡くなったら、親族の縁は遠くなるだろうなぁと思うが、時代の流れなので仕方ないだろう。

今回、母の七回忌を終えて、考えねばならぬことができた。
次の法事は十三回忌だが、そこからは東京でやることにした。私と尚之も家族も東京在住だし、もう久留米の実家もないし、佐賀の本家もなくなる。両親のお骨も、先祖が納まる納骨堂から移動した。つまり我々兄弟は、これまで檀家だった佐賀のお寺を出ることになる。そうなると、東京で同じ宗派のお寺が必要なのか? 叔母に「宗派は変えてはいけないの?」と尋ねたところ、「それはダメ」と言われた。
だが、私自身としては宗教や宗派になんら執着がない。空海さんが好きだから密教もあるし、天照大神が好きだから神道という選択肢もある、と思っているくらいだ。
法事は亡くなった人間のために行われるものだが、実際に執り行うのは生きている人間である。お経を唱えるのもお布施を払うのも、遺された家族だ。しかし私にとっては、経典を開いてもお経を聞いても意味不明。死んだ先に極楽浄土があるのかも定かではない。お墓だって、お参りしてくれる親族はせいぜい孫の代までではないだろうか。先祖代々の墓でない限りは、いずれ無縁仏になる。もし私が久留米にずっと住んでいたなら、なんの疑問もなく同じ宗派で親と同じ墓に入るのだろう。ところが今や、久留米は故郷ではあるものの現地に何もない。

となると今後、私自身はどうしたものだろうか。
個人的には、私は私の自由なやり方でいいではないか、と思う。だが、こればかりは私だけでなく家族にも関わってくる問題であるし、みんなで多数決!と簡単に決めるわけにもいかず、きちんと考えなければいけない。「私が死んだら海に散骨してくれ」とも安易には言えない。それだと墓は要らなくなるが、家族全員が「そうなると私たちも海?」とまた考えなければいけなくなる。

死とは未知なる世界である。死ねば魂も消えてしまうのか? 輪廻転生はあるのか? 死んだらどこに行くのか? こればかりは、どれだけ文明や科学が発達しようと未だ解き明かせない。解き明かせないから宗教が存在する。人は死ねば「はい! おしまい!」そう簡単にはいかないのである。

核家族化がどんどん進み、家督や血縁の重要性が薄れるこの時代。故郷を離れて生きている人はたくさんいるが、みんな、いずれどこに納まろうと思っているのだろうか。さほど疑問もなく、あるいは悩んだ末、親からの流れのままのお墓に納まるのだろうか。その点、女性は実にたくましいと思う。昔ながらの慣習として、多くは結婚した相手のお墓に入るのだから。母親に生前尋ねたことがある。「お袋が死んだら、親父と一緒の納骨堂に入る?」「そうやろうね~」「我が家も墓を作ろうか?」「そげんことしたら、ややこしかけん! あたしが死んでからにして!」とサラッと言われたものだった。

あれこれ考えても答えが出ず、困り果てて知り合いのお坊さんに相談してみた。すると「別に宗派を変えても問題はないし、罰が当たるようなこともないでしょう。ただ、あなたを見守ってくれている御先祖様たちはずっと同じ仏様に手を合わせてきたので、それが変わると御先祖様たちは違和感を感じるかもしれませんね」と。なるほどぉ~、そう言われてみればそんな気もしてくる。
今を生きる自分や子孫のことを考えるのは当然だが、見守ってくれているかもしれぬ御先祖様たちに思いを馳せるのも大事かもしれない。先祖からの流れのままに身を任せるのがいいのかもなぁ~ンマンダブ~……まぁ、この身が消えた後の話だが、誰しも先に考えておかないといけないことはいろいろあるものだ。

それにしても、月が墓地にならないものだろうか。いつも思うのだが、革新的なお寺がお布施をたくさん集めて、火葬したお骨をロケットに乗せて月に飛ばし、ドバッ!と散骨してくれたらいい。月は永遠に夜空に輝いて浮かんでいるし、満月のたびに世界中どこからでも手を合わせてお祈りもできるのだから。
「Blue Moon Stone」の歌詞のように、見上げればそこに浮かんでいる———我ながら名案だと思うのだが。